AOTA ENBI

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聞け 法隆寺 雨   十四世

種(繰り込み

 種の話は、後に述べる入れ子の話の部分群である。先にかいつまんで話すと、第一に遺伝子の話、第二に後述の0、1、空が絡まる話、第三に情報の話があっての部分群の話である。それだけに私の種の部分群はセットされたDNAだけでなく、変位の総和、本能など、中心にどれだけすり寄るかにかかっている。すなわち主体性から主体性の生成への一巡、その二極だけでなく、環境を含め集中拡散体系の三極など遊びの置換も多い。セットと遊びといっても出口は一つしかない。また火宅の中にいるのも知らないようなもので、智慧として中にいるのをどう誘導するのがよいか、その辺の課題も多い。(全体に関わるデッサン)

 実際のDNAは相補性など解っていてもどうして作られるかのメカニズムは解っていない。私はその内部に触れないでベクトルで言っていると理解して頂きたい。その集中拡散も出口を出終えれば体系が与えられる。人間はこの出口を出てから、本来主体性があるのも、このためであり、脳の回路形成との関連では、その主体性に働きかければよい訳である。デッサンを肉付けする変位を含んだ群としてみていただきたい。

航法(二点間)

 第二はベクトルを貫徹させることが、いかに大切かという話から、新生の世界への船出の話に入ろう二点間を紡ぐから航法の話になるが、構造は経験の蔵である。では何もしなくていいのかとなると、海や空は広い、難破の危険もある。何より遠洋航海では、灯台に頼ることなく二点間を海図に書き込まなくてはいけない。白地図という空間にジャイロコンパスがあるとはいえ、時速という主体性が書き込まれない限り、前進はない。主体性が中心になった群に経験が新しく回転し、写像を可能にする。新生というのは「個と全体」の問題に変位があり、その変位に個がチャレンジしてこそ意味があり、教える経験とか師に意味があるのではない。むしろ、未経験でチャレンジ精神の横溢した若人に未来がある。その場合「個と全体」のベクトルに興味があることが大切であろう。

情報のベクトル

1. (水の流れのように)我々は、見えない空間の中にいる。片時も情報なくしては暮らせないが、例えば生活する上で、知らず知らず法のご厄介になる場合がある。法は弱者のためにあるといわれる。家を借りる場合がそうだ。ところが、何年かたって経済や社会事情が変わってくると、いつの間にか強者に有利になってくる。法にも科学が必要な訳である。群論が置き換え可能な公理を目指すように、法もまた同じことをやっているが、一方で、水があらゆるところへ滲出するように、見えない空間へと群論が向かっている。結びついた創造と水の実践の位置関係といえば、このようなものであろう。

2. では「個と全体」についてもう少し詳しくみてみよう。特に「個」に収斂していくところは、福祉を例にみることができる経済のパイが大きくなければ福祉は成り立たない。例えば、戦後の経済が高分子化学のビニールなどがでてきて全体の経済活動を大きくした。自動車などを作る鉄の薄板技術が大量生産を可能にし、より置き換え可能な公理を目指し、より小さな分野へと流れている。現在はコンピュータ及び生体内のメカニズム解明へ目指すのは、より見えない部分への流れである。

3. 単位元は英語でアイデンティティというが、足算して元の数になるので、0、掛算して1、になるので単位元という

   a+0=0+a=a

           a・1=1・a=a

 0と1が空に似ているので使わせて頂くが、この世界には、さまざまな現象が生起消滅を繰り返している。その一つ一つ、そのベクトル、絡み帰結、それが情報である。自らが情報元であると同時に受ける立場でもある。優れた情報元・受信元でなくてはならない。政治経済がどうしても絡んでくるとなると、情報と権力と0・1の地点として「王子・王女」と見立てるが、歴史的な変位、民主化等の情報の集中・拡散・体系が動き出すからである。(王子は古いが、後に親和性の意味があり使う。)

4. 0と1の本末に近づこうとすることは、最近の行政改革をみても解る。トータルな0と1が全くないため、因果応報のつけ回しが自分のところに帰ってくるのである。しかし後述変形にかかわる全体のデフォルムを完全にやれば、新しい実験精神が無量の意味をもって復活してくる。良きにつけ悪しきにつけ一本鎖DNAのように互いに相補的なのである。信頼の意味とは、無駄のない変位とトータル、まさにここにある。種と航法の流れを、ベクトルとリングの一対一の対応とすれば一層理解されよう。支配と甘えを増してはいけない。

5. 前面を照らす、ということ、実験精神も反映するが、一対一の空間の密度が増すということでもある。例えば、空母に着艦するとき、飛行機の速度が速すぎるため、着艦の宿自体が豆粒より小さい点にしか見えない。自分の命を点すことの連続である。タッチアンドゴーは戦前からやっており、三年間練習して一人前になるころ、十人のうち三人しか残らなかったといわれる。台風のあとのローリング・ピッチング(縦揺・横揺)のひどい時に練習するからである。この空間のつづめ方が、前面を照らす意味の重要な部分である。飛躍といい偶然性が鍛える。

6. ここから変形の話に入るが、二十世紀初頭集合論が表れ、アインシュタイン等の位相幾何学による成果を導き出した。三角形の内角の和が大きいか小さいかで、彼は大きい方をとったが宇宙膨張論もそこから導き出した。彼の壮大な話も参考になるが、変形と情報のベクトルの重要な話をしよう。

 まず単純なベクトルとして、前項の空母の話をしよう。太平洋上に、ある空母中心の機動部隊があるとする。目標は敵機動部隊であるから、索敵に集中する一次ベクトルがある。それを受けて偵察機は扇形のベクトル上を拡散して探す。発見すればすぐ通知する。ついで攻撃集中の二次ベクトルがあり、敵もまた集中砲火、弾幕を張る。消耗戦だから兵站力のある方が強い。アメリカは多数の補助空母を作り正規空母に絶えず補給し、前面を拡大した。

7. 川柳俳句の詩形は、短い詩形であるから何が何して何とやらの決定論的説明体は余韻のない限り殆ど価値がない。集合論群論の流れが変形を促したように、私は前面の広がりに堪えるベクトルを駆動力といっている。かつ私は空・無、を単位元として使っているので、多義性に充分答えていると思う。(無量義経・第一義空を説く)

 逆光線 乞食羅漢のように立ち 十四世

 前面の間隔が極度に縮まるとどうなるだろう。前述の位相幾何学の続きでいうと、クラインの壺というのがある。入口と出口が同じというところから、位相のゆがみ・変形などをあつかう学問である。この話にあった一例として「手のついたコーヒーカップはドーナツである」「カップの底を上げて平面にする。次に手の方をその上に重ねる。見事にドーナツになる」。手のないコップは駄目である。(トポロジーの発想・講談社ブルーバックス

 自身を灯明にしながら立つ、というイメージはゆがみや変形があってこそ内面は鮮明である。この句は光、影、穴の空いた部分、底上げされた意識下といって良い部分が語りかけてくる。(意識下のバネ)

8. これは私の秘密の空間である。逆転の発想だから、今まで難しいことを解り易く言ってきた以上に難しいことで、仮説実験実証を先にいくほど、続けていかなくてはならないと思っている。逆転の発想を考える前提としていえば、オウム真理教がある。出家しながら出世間の法でなく、世間と同じ利益と権力を求め殺人に走った。世間のゆがみを増幅しただけである。しかも悪は攻撃し続けても自らは改心はしない。では、世間にあるゆがみとはどういうものであろう。

 アメリカの一極体制というのがある。米ソ二極体制が崩れて、一極になったという具合にである。具体的には力を象徴する核の一極体制のことである。括弧つきのドーナツ体制といった方が似つかわしい。ドーナツでないのは国連の方であろう。話し合いが優先されるからだが、ここにも安保理という二重構造があり、ときどきドーナツ化が起きる。例えていえば、大小の草木が一つの雨で平等に生育するように、力でない一極、あるいは法というものが実現する日を、私同様全ての人は望んでいる。草木の中の真に大きいものは、世界のことを真剣に考えるべきだし、雨は、「個と全体」の中に情報を主体としたベクトルを写像し、この一対一の対応こそ、空と世界を入れ子にした姿とみることができる。生かすという意味で故意のドーナツ化とは違う所以である。

 秘密の一端を言えば、権力はひとたび手に入れれば絶対に手離しはしない。情報は肝心なところで通らなくなる。倫理は浮雲のように飛んでしまう。ではどうするのか、王子を種子としてのベクトルを入れ子にすればよい。

 水(PH7)の親和性は中立だからできる。そして単位元民主化はこの流れにあり、絶えず更新される。このように、本末究意して等しいところを作ってくれるからである。自然な形での内部改革である。煙盾の群論の狙いである。入口と出口が一緒でいい。その話である。人間の本質な痛みである。乞食の空洞は人間の痛みであり、それを教えてくれる無常の変位である。したがって羅漢である。

 人間は感動があって、モチーフ・構造・イメージのベクトルを感知し、イメージのよりよき伸びを考え最構造に至る。そこに集合論群論から流れてくるカオスと対置せざるをえない。過去に止まっていては流されてしまう。暗いトンネルの中に、積極的な入れ子が荘厳を果たしてくれると感じている。

 上手下手の問題ではなく、イメージの伸びに対して主体性と前面への実践が大切である。ベクトルと変位は、あらゆるところにあり私の中にもあなたの中にもある。体系的に内面的に、特に見えない部分に群論はいつのまにかしのびこんでいる。それを個としてでなく、体系的なつながりを、それぞれが実践して頂きたいと思っている。

あとがき

 種、航法、情報のベクトルの順である。種、航法は特殊相対性理論だから、解り易いと思う。情報のベクトルは一般相対性理論にあたるが、できるだけ静態論的に書いてみた。三段論法の、A=B、B=C、A=CはAの群が正しければ殆ど正しいといって良い。ただカオスの状況下では、現実は変化し続ける。変化するものをどう捉えるかということは、我々にとって一つの障壁である。そこで思い出させるのは、量子力学の成立に際しての不確定性原理の登場である。ある一組の物理量(例えば位置と運動量、時間とエネルギー)は、双方を同時観測し、正確に捕捉して価を得ることは不可能、という原理。両者の不正確さの積を最小にすること。これを解り易くすると、三角航法で、沿岸航法が正確な名であるが、A灯台、B灯台の方向を海図に記入して交わったところが自分の位置とするが、これで充分であるが、何しろ船は走っているので、かつ観測のずれもある。そこでC灯台も入れると海図に小さな三角ができる。ゆがみがどうしてもできる。そこで三角の中心を自分の位置とする。

 こういう仕組みと変位の連続だから①最初に種をもってきたのは、群としての種は出口のベクトルが一つであり、多用に堪えると考えた。②全体としてベクトルを通した方が解り易いと思って通した。位相・変形にも触れないわけにはいかず、解りやすく私の考え方を静態論的に述べたと思う。

 全てを集合論群論で切る訳にはいかないではないかと指摘されるが、最先端の学問から一般へ、この考え方が滲み出してきていることも事実である。

 青田煙盾【「青田煙盾の文章を読む」のお答え】非売品

 

 

 

 

 

 

絶望する勇気

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 過去にとらわれて振り返ってばかりだったり、未来のことを心配ばかりしていると、今現在のことがはっきり見えなくなってきてしまう。今、ここにいる自分が自分でいられるかどうかに集中するようになると、過去や未来というものは現在の中に存在するものでしかないということを理解できるようになる。それしかないんだ、そしてそれだけで十分過ぎるほどだと私は実感している。p497  Gerry Lopez【Surf is where you find it】(2010)美術出版社

 

「絶望する勇気」スロヴァイ・ジジェク ポピュリズムの誘惑p455 青土社

~そして私が他者との触れ合いを求めるのは、私自身から逃れるためにである。p295 恐怖はつねに、自分が自分でいられなくなるような外的な対象に対するものである。それに対して不安は、外的な恐怖の対象から自分が守ろうとしている自分は、どこか間違っているという自覚とともに発生する。恐怖によって外的な対象を破壊するように駆り立てられる。それに対して不安と対峙する方法は、自分自身を変えることである。Slovoj Zizek【The COURAGE of HOPELESSNESS】(2018)

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資本主義の精神

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けだるく

「資本主義の精神」マックス・ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神p493 日経BP社 

 職業の遂行がもはや文化の最高の価値と結び付けて考えることができなくなっても、そしてそれが、個人にとって経済的な強制としてしか感じられなくなっても、今日では誰もその意味を解釈する試みすら放棄している。営利活動から、禁欲的な意味も倫理的な意味も奪われて、今では性交渉の情熱と結びつく傾向がある。ときにはスポーツの性格をおびていることも稀ではないのである。

 将来、この鋼鉄の檻(おり)に住むのは誰なのか知る人はいない。そしてこの巨大な発展が終わるときには、全く新しい預言者たちが登場するのか、それとも、昔ながらの思想と理想が力強く復活するのか知る人もいない。あるいはそのどちらでもなく、不自然極まりない尊大さで飾った機械化された化石のようなものになってしまうんだろうか。「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無に等しい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう」。Max Weber【Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus】(1920)

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麓(ふもと)

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麓(ふもと) カート・カークウッド クリス・カークウッド他「Meat PuppetsⅡ」(SST)

 そのゆかしき台地には そりゃあ色んな奴が登ってきたよ それは見知らぬ奴かもしれないし あんたの知ってる誰かかもしれない 砂には聖霊トークショーの司会が植えられて 丘は飾り立てられて 彼らと握手だって出来るんだ

 でも頂上に行っても何もないよ あるのはバケツとモップ それと綺麗な絵入りの鳥の本 上で色んなものを見るだろうけど 怖がらなくていい 言葉があれば行動する必要もないんだから

 モップに飽きたらようやくやめられるけど ついでに自分がやらかした跡も見ることになる 台地は綺麗で泥もなく 仕事はそりゃあ 楽しかった

 でも頂上に行っても何もないよ あるのはバケツとモップ それと綺麗な絵入りの鳥の本 上で色んなものを見るだろうけど 怖がらなくていい 言葉があれば行動する必要もないんだから

 次の台地を探そうと手たちは辺りをまさぐり始めた それはグリーンランドにあるとかメキシコにあるとか みんな口々に言う ある連中は 今立っている場所こそがそうなんだと決めつけたらしいけど もちろん全部当てずっぽう 本当だったとしても お前の役にゃ立ちゃしない 

【Plateau】by Meat Puppets (1984) blog.livedoor.jp/iromono_/archives/2945613.html

 

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けだるく

 

火によって

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けだるく

「火によって」ターハル・ベン・ジェッルーン著 岡真理訳 以文社

 旧市街の市場に行くと、通りの脇に立って、道行く人々に平和と祝福を祈る、男たちにしばしば遭遇する。たいていは老人であったり、なんらかの障害を持っていたりする者だ。通行人はさりげなく彼らの手にコインを握らせる。これらの男たちにとっては、他者に平和と祝福を祈ることに対して支払われる対価であって、物乞いに対する施し(ほどこし)ではないんだ。p93      Tahar Ben Jelloun【Par le feu】(2012)

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矛盾

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「矛盾」シモーヌ・ヴェーユ【重力と恩寵】p172 春秋社

 ほんとうの善はどんなものでも矛盾する条件を伴う。だからその結果、不可能である。注意をこの不可能にほんとうに集中し、そして行動する人は、善を行うんだろう。矛盾はピラミッドの頂点である。(1948) 

 わたしたちはこの世には善はないこと、この世で善と見えるものはすべて有限で、制約されていて、尽きるものであって、一度尽きるとその必要性をむき出しにするものだということを知っている。多分すべての人間の生涯には、この世には善がないことをはっきりとみとめた瞬間が、いくつかある。けれどもそういう真実を見るや否や、嘘でそれをおおう。この真実に向い合うと重大な危険にさらされることを感ずるのだ。それをあらわすギリシャ語は、[hupomene]で、patientia(忍耐)というその語訳はかなりまずい。これは待つことであり、いつまでもつづいて、どんな衝撃にも動揺しない注意深い忠実な不動性である。Simone Weil「Attente deDieu」(1950)p186

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