絶望する勇気

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 過去にとらわれて振り返ってばかりだったり、未来のことを心配ばかりしていると、今現在のことがはっきり見えなくなってきてしまう。今、ここにいる自分が自分でいられるかどうかに集中するようになると、過去や未来というものは現在の中に存在するものでしかないということを理解できるようになる。それしかないんだ、そしてそれだけで十分過ぎるほどだと私は実感している。p497  Gerry Lopez【Surf is where you find it】(2010)美術出版社

 

「絶望する勇気」スロヴァイ・ジジェク ポピュリズムの誘惑p455 青土社

~そして私が他者との触れ合いを求めるのは、私自身から逃れるためにである。p295 恐怖はつねに、自分が自分でいられなくなるような外的な対象に対するものである。それに対して不安は、外的な恐怖の対象から自分が守ろうとしている自分は、どこか間違っているという自覚とともに発生する。恐怖によって外的な対象を破壊するように駆り立てられる。それに対して不安と対峙する方法は、自分自身を変えることである。Slovoj Zizek【The COURAGE of HOPELESSNESS】(2018)

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資本主義の精神

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けだるく

「資本主義の精神」マックス・ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神p493 日経BP社 

 職業の遂行がもはや文化の最高の価値と結び付けて考えることができなくなっても、そしてそれが、個人にとって経済的な強制としてしか感じられなくなっても、今日では誰もその意味を解釈する試みすら放棄している。営利活動から、禁欲的な意味も倫理的な意味も奪われて、今では性交渉の情熱と結びつく傾向がある。ときにはスポーツの性格をおびていることも稀ではないのである。

 将来、この鋼鉄の檻(おり)に住むのは誰なのか知る人はいない。そしてこの巨大な発展が終わるときには、全く新しい預言者たちが登場するのか、それとも、昔ながらの思想と理想が力強く復活するのか知る人もいない。あるいはそのどちらでもなく、不自然極まりない尊大さで飾った機械化された化石のようなものになってしまうんだろうか。「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無に等しい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう」。Max Weber【Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus】(1920)

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麓(ふもと)

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麓(ふもと) カート・カークウッド クリス・カークウッド他「Meat PuppetsⅡ」(SST)

 そのゆかしき台地には そりゃあ色んな奴が登ってきたよ それは見知らぬ奴かもしれないし あんたの知ってる誰かかもしれない 砂には聖霊トークショーの司会が植えられて 丘は飾り立てられて 彼らと握手だって出来るんだ

 でも頂上に行っても何もないよ あるのはバケツとモップ それと綺麗な絵入りの鳥の本 上で色んなものを見るだろうけど 怖がらなくていい 言葉があれば行動する必要もないんだから

 モップに飽きたらようやくやめられるけど ついでに自分がやらかした跡も見ることになる 台地は綺麗で泥もなく 仕事はそりゃあ 楽しかった

 でも頂上に行っても何もないよ あるのはバケツとモップ それと綺麗な絵入りの鳥の本 上で色んなものを見るだろうけど 怖がらなくていい 言葉があれば行動する必要もないんだから

 次の台地を探そうと手たちは辺りをまさぐり始めた それはグリーンランドにあるとかメキシコにあるとか みんな口々に言う ある連中は 今立っている場所こそがそうなんだと決めつけたらしいけど もちろん全部当てずっぽう 本当だったとしても お前の役にゃ立ちゃしない 

【Plateau】by Meat Puppets (1984) blog.livedoor.jp/iromono_/archives/2945613.html

 

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けだるく

 

火によって

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けだるく

「火によって」ターハル・ベン・ジェッルーン著 岡真理訳 以文社

 旧市街の市場に行くと、通りの脇に立って、道行く人々に平和と祝福を祈る、男たちにしばしば遭遇する。たいていは老人であったり、なんらかの障害を持っていたりする者だ。通行人はさりげなく彼らの手にコインを握らせる。これらの男たちにとっては、他者に平和と祝福を祈ることに対して支払われる対価であって、物乞いに対する施し(ほどこし)ではないんだ。p93      Tahar Ben Jelloun【Par le feu】(2012)

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矛盾

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「矛盾」シモーヌ・ヴェーユ【重力と恩寵】p172 春秋社

 ほんとうの善はどんなものでも矛盾する条件を伴う。だからその結果、不可能である。注意をこの不可能にほんとうに集中し、そして行動する人は、善を行うんだろう。矛盾はピラミッドの頂点である。(1948) 

 わたしたちはこの世には善はないこと、この世で善と見えるものはすべて有限で、制約されていて、尽きるものであって、一度尽きるとその必要性をむき出しにするものだということを知っている。多分すべての人間の生涯には、この世には善がないことをはっきりとみとめた瞬間が、いくつかある。けれどもそういう真実を見るや否や、嘘でそれをおおう。この真実に向い合うと重大な危険にさらされることを感ずるのだ。それをあらわすギリシャ語は、[hupomene]で、patientia(忍耐)というその語訳はかなりまずい。これは待つことであり、いつまでもつづいて、どんな衝撃にも動揺しない注意深い忠実な不動性である。Simone Weil「Attente deDieu」(1950)p186

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道をそれて


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けだるく

 「道をそれて」ゲーリー・スナイダー 【ノー・ネイチャー】p197 思潮社

 ぼくらは 岩場の上 木立をぬけて どこに道をみつけても良かった 道なんて全くないところに 山の稜線と森とが ぼくらの眼と足の前にその姿を現す そして昔学んだ行動の知恵が指し示すまま 野性がぼくらを導くに任せる ぼくらは 前にもここに来たことがある 行く道が 決まっているところを歩くより このほうが なんとなくもっと懐かしい 途中で行き止まりになっても それはそれなりに面白い 通り抜けられたらすごくうれしい 道草や迂回をすれば丸太や 花がみんな見える 鹿の道はまっすぐ上がり 横切るのはリスの道 倒れ木の幹に座って一休み 岩底に降り立ったり 斜面に沿って曲がったり どちらも選択しているのだ 今は道を分かっても 後でまた再び出会う そしてぼくらの踵 膝 肩 腰は みんなその場所を心得ている 道が大事なのではない どの道を行っても行きたい所へは行けないだろう ぼくらは道を大きくそれてしまった 岩を超え 森に分け入っていくこの散歩の (1992年)

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空き地

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けだるく

 「空き地」レオナルド・アモローゾ

            【弱い思考】p222 ジャンニ・ヴァッティモ他 法政大学出版

 杣とは森の古い名称である。杣にはいくつもの道があるが、それらはしばしば草木に覆われており、森の奥で不意に途切れてしまう。それらは杣道と呼ばれる。木こりや森番は、これらの杣をよく知っている。彼らは杣道を辿るとはどういうことか知っているのだ。ただし、杣道は否定的な意味での誤った道ではないし、目的地のない道でもない。森の中心という目的地があり、そこで杣道は途切れるのだ。この森の中心が開かれ=空き地にほかならない。しかもそれは、自らの住まいを捨てたのち到着する、外部の目的地や遠く離れた場ではなく、つねにすでに近くにあるのだが、森の奥深くに分け入ったとき、まれに、しかも、きまって突然に見つかる場である。

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